サポートする側 される側2020年07月23日 22:39

古くからの友達に
「コーチングをしている」
「人の夢の実現を応援したい」
「頑張っている人・もがいている人の後押しをしたい」
なんていう話をすると

「えっ!?つっちーってそんなタイプの人だったっけ?」
っていう反応をされることが多いです。

思えば若かりし頃の自分は
人より秀でている事を『正義』と考えて
「代表」になる事に『意義』を感じていた
そんな人間だったと思います。


小学校の頃は
『学級委員』をしない年は無かったし『児童会長』もした。
中学校では剣道部部長をしながら『部長会会長』
高校では3年間『特別進学クラスの特待生』(私立の底辺校ではあるが)
大学は首都圏のそれなりの国立大学に進み
一部上場大企業に総合職で就職。
ここまでは順風満帆ですねぇ

そんな私を古くから知る友人は
「なんで?人の応援なんかしてないで自分の事だけ考えてたんじゃ?」
と思うようです。

確かに自分は誰かのサポートをするんじゃなくて
先頭に立って人を統べることを目指していたように思います。
ある時期までは。

子供が産まれて成長を目の当たりにする中で
人間の可能性や育てる事の面白さに気づいたというのもあると思います。
そしてサポートする事の楽しさや嬉しさにも気付く事が出来たんだと思います。

そうして、そこで考えてしまったんですね。
自分が思っていた「先頭に立って人を統べる人」っていうのは
実は人を統べているんじゃなくて「多くの人にサポートされている人」
なんじゃないかと。
そんな中で自分はサポートされる事よりもサポートする事に適性があるんじゃないかって。

元々、高校時代に受けた適性検査で示された適性のある学部は
「幼児教育課程」「教育学部」「医学部」
全てが人のサポートをする職業に就くための勉強をする学部だったんですよね。
ここで初めて『本来の適正』と『自分の認識する適性』が合致しました。

企業で出世したり
地方や国で首長や議員になったり
いろんな所でリーダーになるのは
「サポートされる事に適性がある人」に任せて

私自身はいろんな人をサポートする事を楽しみ、喜び、生きがいにしていきたいと思ったんですね。

最後に毒を吐くと
多くの企業のリーダーやいろいろな代表者といわれる人達の中で
「自分はみんなにサポートされている」という感覚を持っているリーダーと
「自分は偉いから今の立場にいる」と考えているリーダーがおり
圧倒的に後者の方が多いですが

そんな奴らは「本当の意味」でのリーダーじゃねぇ!!
と思うのです。

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